毎日の日課も惰性になる
痛風が治らないままで幸せだと思えた経験から、日々の日課として身の回りに既にある幸せカウントが趣味になっている。
とても気分が良くなる日課だとは思うものの、身の回りに溢れる幸せの素は、大体いつもあるので少々惰性になって来たのが感じられる。
昔は気付けなかったそれらも、今は探す気になれば沢山溢れている。
この点は疑いようもない真実になり、私の信念になった。
次の自分の課題
どうせ身の回りには常に幸せの素が溢れている。
幸せは探すまでも無い信念になっている。

一々幸せ探す必要ある?
ならば、
一々、身の回りの幸せ探してリストアップしてないで、最初から幸せ気分で過ごせば良いんじゃ無いだろうか?
まだ数日の感想として
この新しいチャレンジに切り替えて、まだ数日での実態は。

うっかり忘れて、気分を害していることがあるので、その都度、いつもの幸せ探しして気分を切り替えたりしてる。

そんな時は、俺ってまだまだだなあ。と自分を小さく責めていることがある。

でも、うまく出来ている時間帯もあって、そんな事が経験されていると、誰かのセリフは真実だったと思い始めている。
その誰かのセリフは、「幸せは自分の中にある」とか「自分が幸せだから、外の世界に探しても見つからない」とか言うセリフだったような気がする。
そんなセリフは、馬鹿馬鹿しくて聞いてられないと思ったのが、その当時の私の正直な本心だったと思うんだけど、あれは本当っぽいと思っている今日この頃。