「幸せに気付く事」に感謝

私の人生は常に幸せを目的地として頑張ってきた。

幸せに気付く事が出来たら、その気付くことが出来る事が幸せの素だった。

だから、幸せの素さえあれば、何を見ても、何が起こっても、幸せ発見のツールに出来そうな気がする。

目次

最近、不幸が連続だ

ワラビーちゃん(妻)の体調不良や検査、私自身の不調や検査。
昔なら10年に一回だった不安な検査や身体の不調が、ここ最近は病院とおともだち状態だった。

この先、一体どうなってしまうんだろう。

あれ?気分は自分が選択出来るはず

最近の二人の体調不良が途切れなく連続してことで、ひっきりなしに不安と痛みと身体の自由のない不便な生活に追い込まれていた。

普通なら不調になっても、一過性で治れば忘れるだけなんだけど、流石に途切れなく不調に二人が次々と陥れば、この不便で痛くて不安な生活が忘れようもないほど染み付いて来た。
むしろ、この辛い状態がデフォルトになっていた。

すると、どうだろう?

普通に歩ける事
病院に行かない事
買い物にも行ける事
痛みがないこと
妻と笑えること
妻が寝返りを打てること
私が妻に腕を回せること
美味しいなと食事ができること
空腹感があること
検査の不安な日々じゃない事

 本物の幸せに気付く

普通に歩ける事、妻と生きている事、下手すれば当たり前に思いがちな事を、これこそ幸せなんだと気付く事。

これこそが幸せだと思った。

そんな気付くチャンスをくれた、妻の健康問題、私の健康問題は、どっちも幸せの素だった。この問題に感謝する気持ちになった。

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