坐禅・瞑想の効能

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登場人物について

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ウサウサ(妻)

筆者(サル)の妻でアラシー?(60歳前後)です。
本当は人間ですが、本人は自分の事をウサギとかクアッカワラビーだと思っているようです。

性格は、前者(心屋仁之助さんが定義した前者後者の前者)で、社会人として有能な人。

学生時代は勉強が嫌いだったから四文字熟語をほとんど知らないとか脳味噌は子供に近いよ。

  • 不要な価値判断の観念が無いまま大人になった人。
  • 曇りの無い目(心)で、ありのままを見ている人。

そんな印象なのがウサウサ。

ニコニコ猿

サルから見たウサウサは料理が上手だよ。

サル(筆者)

サル(筆者)は本当は人間で60代男性です。

なぜサルなのか?それはサルに似ているとウサウサが言い始めたのがきっかけ。
最近まで自分が有能な人類だと思って生きて来たので相当嫌なヤツでした。

典型的な後者なのに、前者だと思って最近まで生きて来た為、大迷惑な存在だったかも知れない。

ウサウサが大好き過ぎてキモいと言われる事をする。

シマキチ(ネコ)

一年位前に我が家に来た元は保護ネコちゃん。

キジトラのメス猫。

性格は、まるで人間が入っているかと思うほど頭が良い一面もあるし、シバ犬のような馬鹿っぽい可愛さもある。

そんなシマキチは、今ではサルとウサウサの娘になった。

娘が元々二人いたけれど、二人とも嫁いだので今では三女のにゃもだけが同居する娘だ。

今朝の坐禅でふと、思った事。

坐禅、瞑想が心地良いのは何故か?

3.11前くらい?趣味として始めた当初は無になろうと努力して苦痛すらあった時間だったような?

それがいつの間にか心地よい日々の大切な時間になってた。

改めて、今の時点で、坐禅や瞑想と、日常の精神で、その違いを眺めると、こんな違いを感じました。

今の時点でと前置きした理由ですが、坐禅、瞑想が日課になってから、思考(現実)の見え方が時々変化する(旅の景色のように)ので、今の時点で感じたことも、この先いつかは、また違った景色に見えているはずだと思うので。

  • 「思考が我がもの」としてあるのが日常。
    「思考が他人事」に見えるのが坐禅。
  • 「頭の中の思考に過ぎない事が見えてない、夢の中にいる事が分からない状態」が日常生活。
    「今ここにリアルにある現実、感覚だけ見つめる」坐禅。
  • 「思考は私が行っているつもり」の日常
    「する私は不在で、思考そのものだけがある」坐禅。

つまり、坐禅、瞑想が、退屈な時間ではなく、心地よい時間になって来た訳は、「私」の存在が消えて、思考が消えなくても他人事、ラジオのようになって深刻さが無いからだと思います。

仮に実生活で深刻な悩みを抱えてたとしても、坐禅中、その事を考えてなければ、その悩みも消えているし、考えている私が実在ではなく、それすらも単なる思考であることを理解している状態だから。

目次

まとめ

日常は私の視点で、坐禅は私も観られる側、単なる思考に過ぎない視点。

思考を思考として観ている視点。

心地良さは、日課としてやめられません。

サルの一言

サル(筆者)は、引き寄せの法則も健康食品も素人で1ユーザーに過ぎません。

ここに書いた事は自分では良いと思うけど、間違えてたり、誤報を信じてたりする可能性もあります。

商品購入リンクも基本的には自分が購入した物ですが、中には自分の購入したそのもののリンクではなく、記事執筆時点で検索したリンクもあったかも知れないし、リンクミスもあるかも知れない。

購入、使用は自己責任で確認願います。

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