坐禅・瞑想の効能

今朝の坐禅でふと、思った事。

坐禅、瞑想が心地良いのは何故か?

3.11前くらい?趣味として始めた当初は無になろうと努力して苦痛すらあった時間だったような?

それがいつの間にか心地よい日々の大切な時間になってた。

改めて、今の時点で、坐禅や瞑想と、日常の精神で、その違いを眺めると、こんな違いを感じました。

今の時点でと前置きした理由ですが、坐禅、瞑想が日課になってから、思考(現実)の見え方が時々変化する(旅の景色のように)ので、今の時点で感じたことも、この先いつかは、また違った景色に見えているはずだと思うので。

  • 「思考が我がもの」としてあるのが日常。
    「思考が他人事」に見えるのが坐禅。
  • 「頭の中の思考に過ぎない事が見えてない、夢の中にいる事が分からない状態」が日常生活。
    「今ここにリアルにある現実、感覚だけ見つめる」坐禅。
  • 「思考は私が行っているつもり」の日常
    「する私は不在で、思考そのものだけがある」坐禅。

つまり、坐禅、瞑想が、退屈な時間ではなく、心地よい時間になって来た訳は、「私」の存在が消えて、思考が消えなくても他人事、ラジオのようになって深刻さが無いからだと思います。

仮に実生活で深刻な悩みを抱えてたとしても、坐禅中、その事を考えてなければ、その悩みも消えているし、考えている私が実在ではなく、それすらも単なる思考であることを理解している状態だから。

まとめ

日常は私の視点で、坐禅は私も観られる側、単なる思考に過ぎない視点。

思考を思考として観ている視点。

心地良さは、日課としてやめられません。

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こんな人が書いてます

お気楽ポチ(シバ犬になりたい)
お気楽ポチ(シバ犬になりたい)サイト管理者
凡人で、高齢者(定年退職の年齢)で、特別なにも無い人、いまさら引き寄せの法則に興味を持ち実験して果たして物になるのか?
ポチのアメブロのやってます。
ポチのアメブロ

そんなブログですが、今更ブームも終盤の引き寄せの法則に、高齢者が実験中のブログ公開して誰が見るのか?

とか言っている間に、実験スタートしたばかりでコロナ時代になって景気後退、さらに痛風に襲われて死ぬほど痛い中でも気分だけは俺の自由だと強がっている。
そして誰の役に立つのか?
と言われそうですが、それは私の役に立つからです。

ブログを書こうと決めた事で、日々の生活の中で思考を眺め続けるモチベーションになる事を発見!

引き寄せに大切な良い気分の選択を持続する為のモチベーションにつながるからです。

引き寄せの法則的なブログの人や著者達は沢山いるけれど、彼らの人生を読んでみると、子供時代から普通と違っていたりして、そもそも最初から違うんじゃ無いか?彼ら彼女らは特別な人類だと思うエピソードを目にする都度、この人も別格か。そう思ってゲンナリします。

それでも諦めきれない私がいます。

超凡人だし、間もなく定年退職年齢だから若人と違って知識と経験と体力をこの先に付けられる状況にない。こんな私にも引き寄せなんて出来るのか?常識的に無理すぎる現状からスタートする引き寄せ実験をブログに加えました。
アメブロは主として自分の備忘録として他人の興味あったブログをブックマーク目的で活用中。

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