好きな事のハズが嫌な事へ

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登場人物について

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ウサウサ(妻)

筆者(サル)の妻でアラシー?(60歳前後)です。
本当は人間ですが、本人は自分の事をウサギとかクアッカワラビーだと思っているようです。

性格は、前者(心屋仁之助さんが定義した前者後者の前者)で、社会人として有能な人。

学生時代は勉強が嫌いだったから四文字熟語をほとんど知らないとか脳味噌は子供に近いよ。

  • 不要な価値判断の観念が無いまま大人になった人。
  • 曇りの無い目(心)で、ありのままを見ている人。

そんな印象なのがウサウサ。

ニコニコ猿

サルから見たウサウサは料理が上手だよ。

サル(筆者)

サル(筆者)は本当は人間で60代男性です。

なぜサルなのか?それはサルに似ているとウサウサが言い始めたのがきっかけ。
最近まで自分が有能な人類だと思って生きて来たので相当嫌なヤツでした。

典型的な後者なのに、前者だと思って最近まで生きて来た為、大迷惑な存在だったかも知れない。

ウサウサが大好き過ぎてキモいと言われる事をする。

シマキチ(ネコ)

一年位前に我が家に来た元は保護ネコちゃん。

キジトラのメス猫。

性格は、まるで人間が入っているかと思うほど頭が良い一面もあるし、シバ犬のような馬鹿っぽい可愛さもある。

そんなシマキチは、今ではサルとウサウサの娘になった。

娘が元々二人いたけれど、二人とも嫁いだので今では三女のにゃもだけが同居する娘だ。

幸せ
  • 自分の心よりお金
  • 自分の気持ちより安定
  • 自分の気持ちより常識優先
  • 自分の気持ちより両親を
  • 自分の気持ちよりご近所様
目次

好きな事をして生きるのが良い!と知ったが

何か改めて、好きな事を探す為に今を浪費して頭を使う。

今と違う特別な何か、好きな事を探そうと考えてしまう。

この「探し物する思考それ自体」が、「本当に今の私のやりたい事なのか?」

それは違う。人生向上させたいからと言う理由で好きな事をやろうと努力している。

おそらく本当に好きな事は、理由なんて無くても好きだしやりたい事。だと思う。

それでも確かに好きな選択にフォーカスして一歩前進だと思うけど変だ。

Apple Watchの待ち受け画面

昨日、一昨日と、感謝の話題にさせて頂いた心屋さんも、

「自分の気持ちを最優先しようじゃないか」と書いていた。この写真。

そのままApple Watchの待ち受け画面にしているんです。

このくらい染み付いているから私は実践出来ていると思い込んでいた。つい最近まで。

心屋さんが書いたのがネットに載っていた

大きな決断なら心に従ってたが

ビジネスで自分の会社には大きなチャンスでも、気分が乗らないと思ったら、その契約は断る。

もっと正確に、正直に言えば、打ち合わせ前には、業界大手の大企業さんを相手に断る勇気は無く、そんな決断はしてなかったんだけど、契約の席上で突然口から出たセリフが、この契約はお断りします。

その後も、色々な大企業相手に、二度、三度、そんな繰り返しで、売り上げは落ちるが、そこに反比例して、幸せ度合いがアップした。

ひどい時なんて、売上の90%を失うと分かっていたのに、契約解除を申し出た事もあった。

会社の売り上げは物凄く下がっても、自分の気持ちを大切にしたからか?それ以上に幸せは増えて行ったので、心の観点では損してないのは間違い体験を積み重ねる事が出来た。

幸せと、お金は無関係だった。

もちろん、生きるのに十分なお金があってのことだと思うけど。少なくともお金と幸せが直接の関係ではない。

好きな事は、大きな事だけじゃ無い

そんな会社を倒産させる恐れのあったほど自分ファーストで決断した私は、気持ちを優先して生きてると思っていた。

しかし、それは人生のわずかな部分だけだった。

この数ヶ月間、繰り返し襲ってくる痛風発作に苦しんで、何も出来ないから暇して、自分の心を良く見る時間が増えていた。

1日の大半を心を見る事に意識的に過ごしてみると、好きな事を選択するって全然出来てないと分かった。

既に好きを選択出来ていたのは、年一回程度の目立った大事な局面だけだった

最初は良い気分を選択しても、その後に気分が変わっても気が付かないのが多かった。

その他の人生の大半は、無意識に自動選択して、惰性で時間を使って、決して気分優先では無い状態でも気が付かないで継続していた。

今どうしたい?直後はOK、でも、直ぐ本末転倒

例1:坐禅が大好きだからする

朝起きると、私はまず坐禅したいなあと思う。これは本心です。

好きな事、今やりたい事として、朝の坐禅をスタートする。

途中で思考が湧いて、「あ!これブログに書きたいな」と何か思い付く場合もある。

そんな時に、まだ坐禅時間が40分も残っているからとブログに着手したい気持ちを我慢する場合がある。

この時の私は好きなことを選択できたのか?

ブログより坐禅の方が今やりたい事だからブログは後回しにしたのか? 

それとも、坐禅中の思考は雑念妄念だと振り払ったのか?

多分、後者(坐禅は黙って座る時間だから)だと思う。

スタート当初に坐禅したかったのは事実だけど、それよりもワクッとする思考が湧いたら、思考に従っても良いのではないだろうか?

例2:ブログは楽しいから書く

こんな話を書いたら楽しいなと思って、今日のブログを書き始める。

この時点では好きな事をスタートさせた。

そうしてブログを楽しく書いているが、わからない事をネットで調べ、そのうちには何をしていたか分からないほど脇道にそれたりする。

いつの間にか、楽しかった作業が面倒くさいと思い始めている。

目が疲れて、肩も凝っている。

それでも、やりかけた仕事はきちんとやる気構えで我慢して続行している事がある。

気分が乗ってない、身体の感覚も肩こり、目の疲れを我慢して。

これは楽しい事をする時間ではなく本末転倒して眉間にしわ寄せて、息も止まっている。

妻から助け舟が出たりする

不服なウサウサ

ポチ! 今、息止まってない?

その通りでした。息が止まってる。

最初だけじゃなく、常に今の最新の気持ちを読み取る

小さな日常を丁寧に選ぶ

大きな商談の場面では、頭よりも心で決めるようになっていた。

しかし、日常の小さな、細かな選択は無意識に行っていた。
スタートでは、本当にやりたい事を選択した場合でも、途中から自分の気持ちに無関心になって作業それ自体がすべき事になっても気が付かないで惰性で継続している。

長年の我慢癖が付いているから、目や肩に疲労を感じても、そんなの我慢が当たり前になっている。
多少、気乗りしないと思っても、わがまま言わずに継続する癖もある。

だから意識的に今を感じないと自分の気持ちと身体の感覚に気付かない。

これからは、自分の感覚を聞き取り、常にやりたいを優先する細かい配慮したい。

細かく気分を選ぶ

痛風で学んで以降は、少しは自分ファーストな日常が増えて来た。

例えば、今、この作業を中断したら、後で再開するのは非効率だと思考が言っても、今、疲れて嫌なら気持ち優先して休む。とか。

  • 休みたいなら休む。
  • コーヒーを飲みたいならコーヒー淹れる。
  • 愛車を運転したいなら出る
  • 坐禅したいなら坐禅
  • 眠いなら昼寝
  • ブログ書きたいなら坐禅中でも書く
  • 満足したら妻の手料理でも残す
  • 足が疲れたら寝転がる
  • 嬉しければ笑う
  • 感動で泣きたい時は涙声に抵抗せず
  • 尿意があったら遠慮せずトイレへ

実は昔の癖が強い

出来るだけ自分の気持ちに答えてあげたい。

一番大事な自分を今までより大切に接客したいと思う。

私の場合は、その中には妻の幸せの為に生きるのも、自分の気持ちに素直な行動。

とか自分ファーストですと書いているけど、今、ここまで書いていて、私の身体は既に、肩こりしていた。

まだまだ自分の身体に無頓着になる癖がある。

サルの一言

サル(筆者)は、引き寄せの法則も健康食品も素人で1ユーザーに過ぎません。

ここに書いた事は自分では良いと思うけど、間違えてたり、誤報を信じてたりする可能性もあります。

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