不安と感謝はコップの水の話と似ている

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消せない不安が消えた昨日の話し

不安が勝手に消えた話がこちら↓↓

愛する妻の健康不安は、ただ気付くだけじゃ解消しなかったし、感じ切っても解消しなかったが、
無理やり不安を消す事を諦めて、今ある感謝にフォーカスするとさっきの不安は消えていた。
そこには努力もなく、痩せ我慢でも無いのに消えていた。

不安と感謝は表裏一体なのか?

不安と感謝は真逆な感じ

不安と感謝が対照的だと感じた昨日の日記。
両者の対比は、まるで 

光 と 闇

ある と 無い

みたいな不思議な関係だと思った。

ドラッカー氏のコップの水みたい

コップにまだ水がある、と見るのか、これしか水が残ってない、と見るのか?

この話は、良く引用されるけど、ここ数日のなかなか消えない不安と感謝の関係が似ていると思った。

P・F・ドラッカー氏の言葉から引用(不正確ですけど雰囲気で)

コップに『半分入っている』と『半分空である』と見るのか?

コップに『半分入っている』と『半分空である』と感じるのか?

水の分量は半分程度だが、この同じ状況を人によって、半分あると思うのか、半分なくなったと捉えるのか?

同じ数字50%だとしても意味が真逆の捉え方をしただけ。

あるにフォーカスする人と、無いにフォーカスする人なのか?分かる。

単なる言葉遊び的で、半分あるも半分減ったも同じ意味ではあるが違う気持ちになる。

思考の選択と似ている

同じ状況下で感謝する事が出来る人と、嫌な面だけ見える人がいるのは思考の選択だと思うけど。

不安と感謝も選択権が自分にあるのか

ここ数日の私の不安が消えなくて、感謝したら安心になっていた状況って、コップの水とか思考選択と同じことで、妻の健康不安な日の状況は変わらずとも、そこに感謝を見出すのか?不安材料だけ見ているのか?その違いなんだと思った。

私には妻の健康不安って最大のウイークポイントなのだが、その最中に感謝にフォーカスして安心な気分に戻れた経験は今後の人生で大きな学びだったと思う。

感謝するか、不安になるか? 選択の自由は本人にある。

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