なんだ元から幸せだった

既に幸せだった
痛風の4ヶ月間、サッパリ治らず、治ったら即再発。

この地獄の中でハッキリした事は、今までは、死ぬほど幸せ者だった。
それなのに、わたしは引き寄せの法則で、「凄く幸せになりたい」と願っていた。
元々が「死ぬほど幸せ者だった」のに、
私は元々が死ぬほど幸せ者だった。でも、それが見えないで、幸せの引き寄せを強く願っていた。
「凄く幸せになりたいです」と願っていた。
この幸せ者が幸せを知る為には、すごく不幸せな出来事が必要だった。
痛風も私が引き寄せた
私の願いが叶って、引き寄せが成功して、凄く不幸せを感じる現実(痛風がずっと治らない)が出現して、その不幸せのお陰で、元の死ぬほど巨大な幸せが見えた。
痛風の今も幸せ
以前の死ぬほど大きな幸せに気付けたばかりではなく、痛風発症中の今現在も幸せが見えた。
4ヶ月にも及ぶ、治らない痛風の痛みは、当たり前の幸せが鮮明に浮き彫りにされた感謝すべき対象となった。
しかも、Before痛風、つまり過去が幸せだったと知るばかりか、With痛風の今現在も、痛風以外においては幸せが溢れている。
痛風の痛み苦しみは、今ある沢山ある幸せの中に、わずか、たった一つの痛み。
しかも、この一個の痛みは幸せを知る為の、裏表であり、幸せと切り離せない存在。言うなれば、幸せの一部分であり、幸せを産む段差、明暗。
この先もきっと、幸せは、不幸せに見える出来事のお陰で存在し、私は不幸のお陰で幸せを感じる事が出来る。
その仕組みを忘れなければ、いつでも周りに溢れる大半の幸せが見える自分でいられるような気がする。
不幸が必要では無いくらいに。

こんな人が書いてます

- サイト管理者
-
凡人で、高齢者(定年退職の年齢)で、特別なにも無い人、いまさら引き寄せの法則に興味を持ち実験して果たして物になるのか?
ポチのアメブロのやってます。
ポチのアメブロ
そんなブログですが、今更ブームも終盤の引き寄せの法則に、高齢者が実験中のブログ公開して誰が見るのか?
とか言っている間に、実験スタートしたばかりでコロナ時代になって景気後退、さらに痛風に襲われて死ぬほど痛い中でも気分だけは俺の自由だと強がっている。
そして誰の役に立つのか?
と言われそうですが、それは私の役に立つからです。
ブログを書こうと決めた事で、日々の生活の中で思考を眺め続けるモチベーションになる事を発見!
引き寄せに大切な良い気分の選択を持続する為のモチベーションにつながるからです。
引き寄せの法則的なブログの人や著者達は沢山いるけれど、彼らの人生を読んでみると、子供時代から普通と違っていたりして、そもそも最初から違うんじゃ無いか?彼ら彼女らは特別な人類だと思うエピソードを目にする都度、この人も別格か。そう思ってゲンナリします。
それでも諦めきれない私がいます。
超凡人だし、間もなく定年退職年齢だから若人と違って知識と経験と体力をこの先に付けられる状況にない。こんな私にも引き寄せなんて出来るのか?常識的に無理すぎる現状からスタートする引き寄せ実験をブログに加えました。
アメブロは主として自分の備忘録として他人の興味あったブログをブックマーク目的で活用中。
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