目次
私の幸せ探しの羅針盤
幸せのある場所は、キットこうに違いない!
1、坐禅を頑張って、いつの日か悟りを開いたら幸せが訪れるはず
とか、
2、経済的自由を得た先に待っているはず
とかだった。
遠くを見て探したのが間違い。
更に、探すと言う考え方が、そもそもの真逆な勘違いだった。
幸せは既に手の内にあった。
私の旅は長い
私の幸せ探し旅は、二十代でサラリーマン生活に苦しんだ当時からスタート、気が付けば、既に五十代後半の今日まで長旅です。
「今世」では本当の幸せは見つからないかも?と思い初めていた。
私は若い頃からビジネス成功本、精神世界の本、引き寄せ、瞑想、坐禅に、幸せに通じる分野は次々と熱中して真剣に取り組んだ。
新型コロナ時代になって
- 私のビジネスが新型コロナで大打撃を受けた
- コロナで娘の結婚式は出来なくなった
- 私が痛風になって、しかも、さっぱり治らない
- お金も将来も健康も全部が不安になった
幸せは、探すと見つからない
スピ本を読む、瞑想する、オンラインサロンに入る。
私はコロナ時代になっても予想外に忙しい。
本を読んでいる時は、悟りたい為にと早く次のページを読もうと焦る。
幸福は、悟りの先にこそあると思って先を急ぐ私でした。
- 暇さえ有れば、スピ本を読む事に追われ
- 1冊飲んだら、付箋の箇所を読み返す
- 要点を自分用にまとめたり
- 読み終えたら次に表示されるAmazonのオススメ本を買って読む。
- 急いで読んだ割には身につかない
- オンラインサロンやブログも読み漁って悟りを求める
幸せ探しで立ち止まる暇なし
こんな日々なので、立ち止まる暇がない。悟るその日まで止まれない。
目の前に人参をぶら下げられた馬状態で、読書、坐禅、瞑想、とか走り続けて数十年間になった。
探す場所が間違いだった
幸せは遠くを探しても無駄
幸せのゴールは、ずっと遠くにある。「悟り」とか「成功」の先にあると思い込み。
そう信じて、視点を遠く先に向けて、今いる場所を見ようともしなかった。
- いつか悟ったら幸せになる
- 十分な金持ちになったら幸せになる
幸せは、今、ここにあった
既にメガネをかけているのに、メガネはどこだ?と探すような物。これでは幸せが見つからないはずだった。
幸せはメガネのように常に一緒
幸せと言うゴールは、今までも、今も、自分と共に、自分が生きているだけで幸せ。
大金持ちになったら、とか、悟りを開いたら、とかポルシェ911を買ったら、ではなかった。
あまりにも常に幸せだから、それがメガネのように一体化して、恵まれた今までの状態を忘れていた。
メガネを外したら、どれだけ不便か知るように、
幸せは失って初めてその大きさに気が付く。
コロナと痛風に有難う
じっと立ち止まる生活
コロナで仕事が激減して、大人しくして
痛風で痛くて何も出来ない時間が増えて
人生初めて立ち止まって長期間。
今を、感じて、幸せを感じた。
幸せ探しのゴール
キョロキョロ外側に、何かを得た未来に幸せのゴールを探してた。
読書して幸せを探し、オンラインサロンを複数加入して探し、引き寄せで幸せになろうとして、常に、今より先の未来に幸せを探している間は見つからなかった。
最初からGOALにいたのに、幸せはどこだ?と探す時点で的外れだった。
痛風、コロナのダブルパンチに大感謝しかない。
この先の人生は、わざわざ悲惨な思いをしないでも、普通にしていても、幸せが今にある事を忘れないで生きてゆきたいと思っている。
それは勿論、意識的に幸せを見る努力が必要だとは思う。
つい、先日に、この発見をした、気付いたばかりなのに、油断すると眼鏡をかけている事を忘れている状態になって、不幸せになっている場合がある。
今日も、運転の荒い人間が近くにいたら、眉間にしわ寄せている私がいた。
1分くらいで気がついて、ゲーム感覚で笑顔で回避運転したけど。
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