昨日知人が入院した

昨日、知人が入院して、その為の付添を頼まれて一日を使って来た。

今日、涙が出るほど幸せ感じた

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翌日は、その知人の配偶者の話を聞いた

昨日はコロナ禍にも関わらず奇跡的に順調な入院が出来た。

半日遅れたら大変だった病状だから、スピードで九死に一生を得たというラッキーパターンでした。

昨日で大ピンチを乗り越えて、ある意味では超幸せな人たちです。

それにも関わらず、一夜明けて今日の様子は違う

知人の配偶者

病室が狭くて荷物も置けないらしい。

トイレが遠くて大変らしい。

個室は予約でいっぱいで順番待ちらしい。

コロナ禍で面会禁止だから、ずっと会えない。

会話する相手がいないと頭がボケたりしないか心配だ。

洗濯物を毎日交換しに行かなければ可愛そう。

LINEの返事が来ない。どうしたんだろう?

男の人だから身の回りの世話をしてあげないと何も出来ない。

一難去ってまた一難

知人の配偶者の気持ちも分かるけど、このコロナ禍のご時世にスムーズに入院して、今は安心な場所にいるだけでも超ラッキー。

それなのに、その幸せを一夜で忘れて、今ある幸せを忘れて、新しい不安、不満ばかり探しているように見えた。

別に彼女に悪気はなく、旦那さんの事を思ってなのは重々理解する。

病院の粗探しも、旦那さんの快適な入院生活の為を思って、奥さんの愛情からの発言なのも分かる。

でも、そんな事やっていたら、その問題が解決しても、

翌日にはまた同じような不安探しになっていると思う。

まるでゴールだと思ったら、そこがスタートの繰り返しで走り続けるみたいだ。

アドバイスしたい私(自我)

知人の奥さんの新しい不安に襲われている様子を見て私は思った。

私の本心

馬鹿だなあ。超ラッキーな現状を見ないで、不足、不満ばっかり見ているから不幸せなのに。

個室が空きないのは気の毒だけど、個室と違って狭い代償に、請求は安いし、一人ぼっちじゃないから寂しくない。

面会が禁止だから毎日、妻として旦那の病院に通う義務から解放されている。

とか、内心で思っていた。

口には出せなかったけど。

結論:間違いなく私の鏡だ

この無駄に不安サイドから見る奥さんの思考グセは他人事ではなかった。

私も今日現在は第二のコロナ禍の影響で、ビジネス(自分の会社)が不調の中にある。

当然、毎日が不安である。

コロナ禍が過ぎて景気回復したらなあ幸せになるなあ。って。

でも待てよ!

ちょっと前なら違う悩み、不安の中にいた。

直らない不思議な痛風発作で毎日半年間も苦しんでいたのだから。

直らない不思議な痛風で半年間も苦しんでいた、あの日々だったら

辛い私

「仕事なんてゼロで構わない。痛みさえなければそれだけで幸せになれる!」

とか思っていた。

その願いが叶っている今日なのだ。

あの願いが叶ったら、今度は、お金、コロナ禍の不安だけ見ていた。

身体が、痛くない、歩ける普通の身体になっているだけで最高の幸せなのに、その既にある幸せが見えなくなっていた。

この先にコロナ禍が終わったら?

コロナ禍の時代の不安を忘れて、その代わりに景気回復の波に乗り遅れないか?って不安かもしれないし、次のコロナ以外の災難を不安に思ってしまうのかもしれない所だった。

不安は決して消えない

彼女(知人の奥さん)同様で私も、探したら不安なんて一生涯消える事が無い。

目先の不安が消えた途端に次の不安が見えてくるはず。

一生涯、不安のタネは転がっていて、完全に根絶やしになる事はないだろう。

だったら、焦らないでも、今も将来も不安を脇に抱えて生きるのは同じだ。

そう思うとほっと安堵感。

しかも、見渡せば不安と感謝が常に両方あるのだから、どっちを見るかは自分で選択する自由がある。

ちょっと今のままでも無敵な気分。また忘れて不安になるだろうけど。